2012/02/06

メタボリズムの未来都市展に行ってみた。


森美術館で開催されていた、メタボリズムの未来都市展に行ってみた。

戦後の焦土に丹下健三がぶち上げた「戦後復興計画」に端を発するメタボリズムを当時の貴重な資料を基に解説する展示会である。





壮大な都市計画の断片に過ぎない小さな展示物からメタボリズムを推進した丹下健三をはじめとする建築家、デザイナーの恐ろしいほどの着想力、旺盛な創造力に圧倒された。

たとえば築地にある電通テックの本社ビル。丹下健三の設計ということは知っていたのだが、実はあのビルは「東京計画1960」という壮大な都市計画の一つのピースだったことを知り、その文脈から改めてあのビルを見てみるとそのピロティの構造や南北の壁面から飛び出した梁の意味がわかる。

また、この展示会では代々木オリンピックプール、出雲大社庁の舎、京都国際会議場などの建設現場を記録した貴重なフィルムなども映写されており、建築家の無理難題を実現させた日本の建設技術力にも頭が下がる思いである。

その中でも、見ごたえがあったのは万博のお祭り広場を覆った大屋根をジャッキで上げる作業だ。当時は大型ジャッキでの施工という技術自体が日本ではなかったらしく、アメリカの業者がその施工を行っていた。わずか数分のフィルムであるが当時の熱気が伝わってくる。

メタボリズム運動の建築家たちの創造力はその発散の場を求めて彷徨するのであるが、最終的に大阪万博で一応の帰着点を見る。

大屋根、エキスポタワー、ピクトグラフなど行き場のなかったメタボリズムのエキスがこの万博で一気に放出された後、建築家たちは新たな海外にその活躍の場を求めていく。

このメタボリズム運動で実現されたアイディアの数は多くないが、その運動の中に託された文脈は後続の日本の建築家のDNAに刻みこまれたのは間違いはないようだ。

侘助拝

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